入院から退院まで

バセドウ病になるまで&発覚 入院から退院 平成14年通院 血液検査 
平成15年通院  

 入院生活(8月14日から9月13日)

 入院後4日間は検査が続いた.主治医はT先生という背の高い若そうな,優しそうな先生だった.午後に記録室(ナースステーション)に呼ばれ甲状腺機能亢進症について説明してくださった.いっぱいホルモンの話が出てきた.学生時代,生理学や生化学が大好きだった私には懐かしく思えた.「あぁ習った,習った…」なんて… 原因をはっきりさせるためにこれからいろいろ検査をすると言う話も詳しくしてくださった.治療方針につい「治療計画書」なるものもくださった.脳下垂体のMRI,シンチグラフィーによるヨウ素の集まり具合.エコーによる甲状腺の腫れの状態,心電図,そして思春期早発も見られたため,エコーで子宮や卵巣の発育,手の骨のレントゲンによる骨年齢の測定,太股や腕の骨の状態,いろいろなホルモンを点滴で入れて,その反応を時間ごとに測定するなど.検査の目的も,必要性も理解できた.よけいな話はしない先生だが,信頼できそうだと思った.痛い検査は一つもなく,泣くことはなかった.先生の説明が優しかったからかな?

 助かったことというかありがたいことは,子どもの慢性疾患ということで治療費は払わなくてもいいらしい.申請書類を渡され記入した.「年末にいくらか知りませんが,見舞金も出るみたいです」とT先生に言われた.書類は主治医が書くものと保護者が書くものとがあり,申請の日付が一致しないといけないらしい.書いた日付にしたら婦長さんから訂正するように言われた.面倒だけど書き直した.(それならはじめから,初診日と言ってくれればいいのに…)

 食事は普通食,入浴も毎日可能,トイレも行ける.点滴もなければ包帯も巻いていない.何一つ病人らしい「見える物」はない.まあ内科で入院治療している人はこんなひともたくさにるけれど.娘にしたら「何で入院なん?… 」 素人でもわかることは微熱があることと,脈が速いこと.でもそういえばイライラしていたり,すぐに「しんどい」と言ったり,勉強していても集中力がなかった.

 バセドウ病の症状が今から思うとすでに出ていた.甲状腺のことやバセドウ病という病気の名前やヨウ素を取り込みすぎる程度のことは知っていたのですべて冷静に受け入れることができ,一通りの検査が終わった17日(土)主治医に呼ばれ,またお話をお聞きした.いろいろな病気の可能性を聞いて最悪の状態を想像していたので,検査の結果を聞いてほっとした.思春期早発とバセドウ病が重なる病気は否定された.脳下垂体の異常もない.子宮や卵巣は思春期を迎える女性の普通の状態だった.エコーでみた甲状腺は腫瘍もなく,一様に大きくなっていた.シンチグラフィーの結果は,チョウチョの形がきれいに写っていた.ヨウ素の取り込み状態は普通の人の4倍くらいらしい.骨年齢は12歳から12歳半.成長はそろそろ終盤.身長はあと5cmくらいしか伸びないらしい.この日の夕方よりメルカゾールの投薬が始まる.朝2錠,夜1錠とβブロッカー.後は何もない.ただぼーっと安静にしているだけ.

次の週には隣にある看護学校の学生さんが実習に来た.小児科の子どもだけ担当するらしい.宿題を見てくれたりトランプをしてくれたり相手をしてもらって,暇つぶしになったようだ.学生さんが病気についてのしおりをくれ大切に読んでいた.




 病室


 4人部屋の家族は呼吸器の病気の人,病院は10件以上回ったという人,排泄の意識のない90近くの人.3人ともポータブルトイレを置き,使用時はカーテンが閉まる.みんな暖かくて良い人だった.うるさくもないし,かといって黙っているわけでもない.孫のように娘をかわいがってくれたし,無邪気な子どもを喜んでくれていた.(と思う)そのうち一人は手術の関係もあって別病棟へ移動,一人は大人の6人部屋へ移動.一人は退院.4人部屋は娘一人になったり,小児科の短期入院者(高熱や下痢,軽度の喘息など)が入れ替わり立ち替わり.いろんな人と巡り会えた.

 手のかからない娘は,食事は食堂で,検温は自分で,食事量の記録も自分で.血圧も自分で測りに行く.正直ほったらかし.ナースコールなんて一度も使わず.夕方「今日,看護師さん部屋に来た?」って聞いたら「来てない」いう日もしょっちゅう.来ても他の人に所に来たとか.T先生は顔は毎日出して,喉を見るとか「変わりないか?」と聞く程度.よけいな話はしない先生だけど,子どもの表情や性格はよく見ている.



 子ども部屋

 娘が入院生活に早くなじめたのは,子ども部屋の存在.ここでは長期の入院生活をしながら隣の養護学校に通う子ども達が10人近くいる.入浴や食事,夜の時間帯など仲良くしゃべっていた.長い子は5年くらいここで生活しているらしい.みんな病気と闘いながら苦しんでいるものの優しく良くしゃべる子ばかりだった.すっかり仲良くなって退院するときはなかなか帰れなかった.





 血液検査
 
メルカゾールの投薬が始まって1週間.採血で好中球の数やホルモンの状態を調べた.好中球は異常なし.ホルモンは投薬に対して過剰反応をするらしく,増えているそうだ.今のところ副作用はない.2週間後,好中球が減ってきた.830あまりと言われた.500を切ると危ないので薬を代えた.チウラジール1日3錠.3週間後,好中球は1400くらいに増えていた.ちょっと安心.

週末, 外泊の希望をした.血液検査の結果,白血球が戻りつつあるので許可がおりた.久しぶりの我が家.ちょっと早い誕生日のお祝いと,病院では食べられないお寿司を食べ行った.ちょうどこの頃家族は「早く退院させたい」という思いもあり,T先生にその話をした.気持ちはわかるが医師の判断として1ヶ月間は目の届くところで様子を見たいらしい.私も「優先するのはこの子の健康状態ですので,ご判断は先生にお任せします」と伝えた.この時,今後の見通しについても説明していただいた.誕生日当日も寝にだけ家に帰った.夕食後から朝食までの短時間だが.




 退院

12日,仕事を終えて病室に行くと,机の上に退院する人が書く「アンケート」が置いてあった.あぁ良かった.書き始めているとT先生が来られた.「明日,おうちにかえろか…」優しい一言だった.退院後の外来診察の話もされた.普通の診察時間じゃなくて,午後の慢性疾患対象の予約診察だった.これは助かる.当面2週間ごと.落ち着いたら1ヶ月ごと.退院のしおりに注意事項などが書かれていた.体育は見学.学校は週明けから.熱が出たり喉が痛かったらすぐに受診することなど,そして「まだ薬がそんなに効いていないので,チウラジール1日4錠にします」と言われ,最後に喉を見て,首を触って,「じゃあまたな!」あっけない終わりだった.

次は仲良くしてもらったお友達と,最後に一緒にお風呂にはいるとか,手紙を渡すとか,もうちょっとしゃべるとか,看護師さんにも手紙を渡したり,2時間くらい待った.荷物もぬいぐるみや勉強道具など結構たまっていた.車まで3往復した.

最後に記録室に挨拶行って,薬をもらって自宅に向かった.

病気との闘い?はこれからだし,長いだろうけど,自宅で家族全員が過ごせることは何より嬉しい.




入院生活をして…雑感…
 
 入院ってあまり身近なものじゃなかったせいか,いろいろ学んだことがあった.健康であることのありがたさや,病気であっても一生懸命,生きようとがんばっている本人はもとより,多くの人の援助のありがたさ.先生,看護師,看護助手,お風呂の世話をしてくださった保育士さん.

 ナースになりたい娘は,看護師さんっていつもナースステーションでしゃべっていると思っていたらしい.テレビの見過ぎで「ナースのお仕事」や「ナースマン」はそうだから.ところが看護師さんって暇じゃないことが実感できたよう.回診の時間はナースステーションはいつも空っぽ.看護師さんに「将来の夢は?」って聞かれて「ナース」と答えたら「嬉しいこと言ってくれるな…」って言われた.どんな職業でも自分と同じ仕事をしたい子どもがいるっているのは嬉しいと思う.

今年のクリスマスプレゼントはピンクの聴診器!


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